細野豪志衆院議員(性的少数者の課題を考える超党派国会議員連盟の顧問)が東京レインボーパレードの出発前、記者団に対して語った内容が記事になっています。
(自民党は)「カミングアウトする必要のない社会」というが、これ(「東京レインボープライド2016」のパレード)を見たら分かる通り、カミングアウトして自由に生きたいという人は日本にたくさんいる。そういう人たちを後押しするような法律をつくりたい。我々は国会議員なので、そこ(立法)で役割を果たしたい。ちょうど今、分水嶺(ぶんすいれい)、分かれ目だ。
自民党の「カムアウトする必要のない社会」に対抗して「カムアウト後押し法」なんですね……。自民党が提唱する「カムアウトする必要のない社会」については、以前以下にツッコミを書きました。
わたしは、おそらく自民党が提唱する法律(差別禁止などをうたわないもの)よりは、性的少数者の課題を考える超党派国会議員連盟が提唱する差別解消法(「差別解消のための国や地方自治体、国民の責務、企業の採用や学校生活での差別的な扱いの禁止、啓発の実施などを盛り込む方向」のもの)の方が、実効的なのかな?とは思っています(参考記事)。
しかし、上の記事で「カムアウトを後押しするような法律」という見出しを目にし、なんとなく「ぎょっ」としたのも事実です。
当事者がカムアウトするとかしないとか、そういうのを政治家が立法の役割として掲げるべきことなんでしょうか?
もちろん、LGBTが生きやすい社会であれば、結果的にカムアウトして生きる当事者は増えると思います。その意味で、オープンなLGBTが増えることは、その社会の寛容さを図る一つの指標になるとは思います。しかし、その場合でも、カムアウトをしようがしまいが、それは個人の勝手ですよね?「ほらほら!こんな制度を作ったのだから、カムアウトして!君、ゲイなんでしょう!カムアウトしちゃいなよ!私、アーライだから、大丈夫だよ!」的なノリは正直嫌。
それに、LGBTに対する理解の促進や、差別の解消というのは何も、カムアウトしている当事者だけに利益があるものでもありません。すべての人の人権が守られる平等な社会とは、カムアウトしている当事者にとっても、クローゼットな人にとっても、そして、アーライやすべての人にとって重要なものなはず。
もちろん、社会を変える手段として身近な人へのカムアウトを重視する活動家がいるのは理解できます(ハーヴィー・ミルクは、「カムアウトせよ!(You must come out)」と迫りましたし、実際アメリカでは、もともと同性婚に反対していた有名な政治家や企業家たちが、家族のカムアウトをきっかけに同性婚賛成派に鞍替えするというケースが多くありました)。しかし、それは政治家がまず目的に掲げることではないような気がします。
「カムアウトする必要があるかないかは、こっちで決めます」 ←自民党に言いたい
「カムアウトを後押し……とかも、ごめんなさい、ちょっとありがた迷惑ですw」 ←細野さんに言いたい
すべての政治家に伝えたいのは、まずはLGBT問題が人権問題だという前提にたち、その上で「カムアウトしてようがいまいが、パートナーがいようがいまいが、あらゆる性自認、性指向の人が生きやすい社会を作ってほしい」ということです。
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